伏見顕正の政経塾

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新台湾論③原住民と日本人との明確な血縁関係

≪原住民と日本人との明確な血縁関係≫

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原住民パイワン族のDNAと日本人、特に九州人、沖縄人のDNAの塩基配列に共通性が確認されています。
台湾南部の遺跡から大量の「縄文式土器」が発掘されました。原住民は「縄文人」の子孫だったのです。

 原住民の男性がはく「褌(ふんどし)」は日本の男性もはきます。九州人の私の祖父も生涯、褌を愛用していました。
このことから、古代、台湾と沖縄、奄美諸島、九州は陸橋でつながっており、縄文人だった原住民が北上して、九州まで来ていたことが確認されています。
また、黄文雄氏(文明史家)によると、太古にオーストロネシア語族は、台湾から出発し日本南部、東南アジア、南米のインディオまで人種を広げていったことが言語学的に証明されるそうです。
★このように、台湾は多人種、多言語国家で、多様なエスニックグループ国家です

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【台湾の歴史;ざっくりと】
日清戦争講和条約の下関会談で、清国全権の李鴻章(りこうしょう)は台湾を永久譲渡するに当たり、日本側全権の伊藤博文に対し憎々しげに「台湾は疫病とアヘンの蔓延する地、日本には統治できまい」と吐き捨てるように言いました。

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対する伊藤公は「必ず統治して見せる」と。

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当時の台湾は亜熱帯特有のマラリヤや腸チフスなどの風土病、伝染病のデパートであり、ある時、清国が3千人の兵を送っても、ほとんどが、マラリアで死んだり、勇猛な原住民に殺されたりして兵が消えて生還者がいなかったそうです。
加えて、台湾の水は、「毒水」と呼ばれアメーバ赤痢などに当たり、どんなに強健な兵士でも、水を飲むと5日と持たずに死んだそうです。


日本は、台湾の受け取りに1万5千の兵を送りました。残留していた清軍は、日本軍到来を聞くと泡をくって大陸に逃げました。
抵抗したのは、匪賊(武装ゲリラ)達でした。日本軍は台北から南下しながら、彼らを掃討していきました。
日本軍は進軍しながら工兵部隊は、道なき台湾に道路を開いていきます。
何と全島掌握完了後、「台湾平定戦」での死者の殆どが戦死ではなく病死でした。


派遣軍司令官の北白川能久王もマラリアで命を落としました。

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清軍が駐屯していた台北城内は、糞尿まみれで、疫病の巣窟になっていました。
台湾総督府は、上下水道を整備して、衛生環境を改善しました。

台湾統治が緒に就いたころは台湾人の平均寿命は30歳だったのが、日本の統治が終わった頃は倍の60歳になりました。


歴代の総督は、本土を上回る予算を投入して、徹底的にインフラを整備していきます。
白眉は、後藤新平総督と新渡戸稲造のコンビです。

後藤の本職は医者です。

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彼は「生物学的観点」から、台湾の現状を改善していきます。
有名なのは「アヘン漸禁策(ぜんきんさく)」です。いきなり、現金にするのではなく、先ずはアヘンを専売制にして、税収を確保します。
そうすることによってアヘン吸飲者は徐々に減っていき、最後は根絶しました。

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当時の中国大陸では、決して根絶できなかったアヘン中毒者達です。凄い業績です。
新渡戸は、ハワイからサトウキビを移入して、台湾の特産物、輸出品にします。
総督府の農業技官たちは、日本のコメの品種を何種類も掛け合わせて、台湾での栽培に適した「蓬莱米(ほうらいまい)」を開発します。
これで、台湾のコメの収量は倍増しました。


≪公教育の普及≫

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台湾全土に国民学校を建設し、日本人の警察官たちが、担当地区の父兄を説得して、就学させました。
それで、統治初期は0.7%だった日本語識字率は、日本統治終了時は85%に達していました。
★イギリス、フランス、オランダなどのヨーロッパの植民地帝国は、植民地の住民に教育を施しませんでした。
何故なら、教育レベルを上げると、独立心が芽生えて支配しにくくなるからです。これを「愚民化政策」と言います。
大東亜戦争中に日本軍に志願して、シンガポールに駐屯した元台湾兵の老人はシンガポールの就学率の低さに驚いたそうです。
そして、日本の植民地統治の素晴らしさに感嘆したそうです。
日本の統治は、「内地延長主義」で日本人への同化を狙っていました。朝鮮半島での「内鮮一体」が好例です。
★ただ、日本の政治家が「教育を施してやった」と発言すると、必ず、日本統治時代を知っている在日一世の知識人が反発します。
厳密にいうと「義務教育」ではなかったからです。
台湾総督府朝鮮総督府も「義務教育」の施行を予定していましたが、それは、昭和22年からでした。
それも、昭和20年の終戦でフイになったのです。