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伏見顕正の政経塾

政治、経済、政界情勢、皇室、中韓、在日問題など、冷静に語ります。

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【宇佐神宮の神勅⑥】私の吉田茂観の変遷、無限拡散

2017年03月19日

宇佐神宮の神勅⑥】

私の吉田茂観の変遷、無限拡散

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*写真は志士時代の木戸を命がけで助け、めでたく結婚した木戸松子(幾松)

 

元高官「君の「吉田茂観」は昔からこんなだったの?」

私「実は昔は騙されていました(笑)中学生の頃、もう亡くなられましたが京都大学の国際政治学の教授、高坂正堯さんの、「宰相吉田茂」を読んで興味を覚えました。」

元高官「生前お会いしたことが有るよ。リアル・ポリティーク(現実主義政治学)の旗手だった学者だね。」

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私「当時は、社会党や左翼全盛時代でしたから、戦後日米同盟の基盤を作った吉田茂の「再評価」は新鮮でしたね。

しかし、大学生だった1980年代に、アメリカ人のMITの政治学者、ジョン・ダワーの「吉田茂とその時代」を読むとまた印象が変わりました。

「反軍」で「リベラルで自由主義者」の吉田茂像を否定して「帝国主義者」の本性を暴いたのは圧巻でしたね。ダワーの著書は、日本人でも知らないような

吉田のパーソナルデータを駆使してよくここまで調べ上げたなと感心しました。ただ従来と違い「予定調和」の吉田礼賛ではなかったですね。

この本で、今思えば収穫だと思ったのは、吉田の生母の「情報」が全く不明だという事実ですね。
公式発表では、実父は土佐の民権活動家の竹内綱庶子(非嫡出子)だということはわかっています。しかし、この竹内綱自身も全く無名な男で当然、日本史の教科書には載らないし、「売り」は板垣退助の子分だったという話です。

生母の氏名、出自が全く不明な総理大臣と言うのは、「憲政史上」吉田ただ一人です。

加えて、私が感ずるのは、実父とされる竹内綱自身が、無名の人物で、養子に出した五男坊が、偶々総理大臣になったから、「著名人」になったのではないか?と言う疑惑です。

今、竹内のWikiを見ると、「これでもか!」と言うぐらいに、業績「てんこ盛り」です。恐らく竹内の生地の高知県宿毛の人達が「地元お越し」でやっているのでしょうが、以前、正田美智子の実母の正田富美(旧姓、副島を自称)の佐賀の実家について調べてみたことが有りましたが、多久市には「副島家文書」と言う記念館のようなものが有ると地元の人が豪語していましたが、後で佐賀県の他地区のかたが、教えてくれましたが、正田富美は、美智子入内後に多久市に来て、副島家に「戸籍を売ってくれ」と頼み断られたそうです。

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富美は顔立ちとスタイルですぐわかりますが、生まれも育ちも戦前の「魔都」上海の英国租界地区。解体された旧正田邸は英国のチューダー朝風の様式で清水組(現;清水建設)が建築したものですから実父は高い確率で、租界のイギリス人、母親は日本人以外のアジア人で間違いないと思います。極端な色白、同年代の日本女性と比べれば異様に高すぎる身長。おまけに実母の名前は戸籍上「空欄」です。

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これは吉田にも言えることで、いくら実父が外に作った子供にしても、産ませた女性の名前ぐらいは覚えているはずです。吉田は生後すぐ、竹内の友人で豪商の吉田健三に養子に出されますが

この養父も茂の生母の名前を知らない。結局めんどくさいので、周囲の大人は聞かれたら「生母は芸者だよ」と口をそろえるようになった。

★名前の無い「芸者」っているでしょうか?明治の元勲、長州の木戸孝允の妻は「松子」、志士時代からの恋人で、当時は有名芸者の幾松(いくまつ)です。

初代総理大臣、伊藤博文の正妻の梅子も元芸者です。

★ここまで来ると、吉田の生母は、芸者ではなく、世間に言えない階層、部落民の女性ではなかったかと思わざるを得ません。

恐らく実父の竹内も、養父の吉田健三も生母の名前を知っていたはずだが敢えて、本人に教えなかったのだと思います。

★そう考えると、吉田茂が皇太子妃に「正田美智子」に拘った理由も、「同族的親和性」とすれば納得できます。

美智子の実父の堤康次郎も、半島系部落民ですから、符合が合います。

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※左から吉田茂首相、操夫人、正力松太郎、康次郎

★ともかくも、1980年代の歴史書、伝記等は、「自虐史観オンパレード」でした。先ほどのダワー以外の日本人の政治学者は「吉田茂礼賛一色」でした。

GHQ占領時代の事実上の日本総督長官(サンフランシスコ講和条約までは日本は独立していません)の吉田茂礼賛は、イコール「アメリカ賛美」であり、裏は「戦前の日本は全て悪い自虐史観」です。
★またこの時代に目立ったのは「ケネディ王朝」礼賛本の多さでした。「アメリカは移民でも努力すれば大統領になれるんだよ」と言うメッセージで、日本人に「アメリカンドリームやアメリカ信仰」を植え付けるものでした。若かった私もかなり洗脳されましたけど。

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しかし、時代が変われば新しい資料や「証言」も出てきて「史観」も変わります。ケネディ家は理想のファミリーではなくて、大統領の父、ジョセフ・ケネディが「禁酒法時代」にマフィアと組んで密造酒で大儲けしたり、株の「インサイダー取引」で儲けたり、息子たちを大統領にするために「違法行為」で蓄財しました。

また、当時「アイルランド系移民」と言えば、日本でいう「在日朝鮮人」並みの扱いでした。

日本は日露戦争後、アメリカにとっては「仮想敵国」となり、西海岸で、「日系移民排斥運動」が始まります。その先頭に立ったのが何と、アイルランド系移民たちでした。

勤勉で働き者の日系移民に、自分たちの仕事が奪われると危機感を抱いたのでしょう。

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※日系アメリカ人~442部隊