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【キムチ妃の秘密】高円宮久子の実家、鳥取家は部落民か?転載フリー

【キムチ妃の秘密】

高円宮久子の実家、鳥取家は部落民か?転載フリー

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 昨日記事を書いて以来、キムチ妃、高円宮久子の出自がずっと気になっていました。

そこに、ある読者様、の、「実家の鳥取家が浄土真宗と言うのは穢多でしょう」と言う指摘が有り、コメ欄でちょっとした論争が有りました。

それが、刺激となり、様々な角度から調査をすると、驚愕の事実がわかりました。

 

下記に久子の実父の鳥取滋二郎のWikiを全部載せます。

先ず、指摘したいのは、鳥取家の由来です。

公表している家系図で、遡れるのは、久子から3代前の治郎八までです。

下の「家族・親族」の欄でわかるように、代々、香川県三豊(みとよ)市豊中町に住んでいます。

 

そこで、【インターネット版部落地名総監】で、照合してみると。

香川県

三豊市: 高瀬町下勝間 高瀬町新名 高瀬町比地中 豊中町上高野 仁尾町仁尾仁尾の上 山本町辻中西・・・

三豊市豊中町で、どんぴしゃ的中しました。 

①  実家は部落地区のど真ん中でした。 

 

★このWikiはおそらく久子本人が書いたのでしょう(久子は一人っ子)が、書き方が変です。

鳥取家は○○の旧家」とは普通書かないと思います。○○の農家とか、○○の庄屋とか書くと思います。実家が代々、農家であることを恥 じていたのでしょうか?

 

 ②  実家の宗教が【浄土真宗】と言う点です。

確かに、浄土真宗徒の9割が穢多と言うのは言い過ぎだと思いますが、信徒のかなりの割合を穢多が占めるのは間違いなさそうです。 

【部落学序説】と言う、部落研究家のブログに【浄土真宗と穢多の関係】が、上手く説明されていました。

このブロガーはキリスト教徒で部落民に布教している日本人なので、基本同情的である点も信頼性が有ります。以下に主要部分を掲 載します。

 

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以下転載・・・・・・・・・・・・・・・・・・

幕府から指示される前に、浄土真宗は、「穢多」の前身を抱え込んでいたと思われます。それは、浄土真宗内部の自治警察機能の存在です。浄土真宗を捨て多宗教へ流れるものに対しては、厳しい措置をとったものと思われます。特に、切支

丹に対しては、徳川幕府のそれと、勝るとも劣らぬ形で、「邪宗門」として対峙してきたと思われます。

邪宗門」に対する抑圧・排除のシステムこそ、浄土真宗徳川幕府から信任され、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」の役を任せられた理由ではないかと思います。

つまり、浄土真宗にとって、「穢多」は、自らの存続のために必要不可欠な重要な機関であったことです。その機関の故に、浄土真宗は、江戸時代300年間に渡ってその存続を許されたのです。

人のいのちをいと惜しむ「穢多」たちが、近世幕藩体制下の司法・警察の「役務」・「職務」を遂行するにあたって、ときとして、刑吏の仕事に携わることを要求されます。穢多にとって、直接、憎しみを持っていない犯罪者を、代官所の命

令に従って処刑しなければなりません。

中間や足軽は、死刑執行人の仕事を要求されたあとは、逃亡して行方不明になるものが相当数いたといわれます。

しかし、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多・非人」の中には、そのような人はいなかったと思われます。徳山藩の処刑の記録を見ても分かるのですが、ひとりの犯罪者の処刑に複数の穢多が関与しています。死刑執行人のうち、実

際に処刑したのは誰であったのか、それを隠蔽するためです。

たとえ犯罪者であるといっても、人ひとりを殺すことになるわけですから、死刑執行人に任命された人自身も心に深い傷を負うことになります。東日本では、白山信仰があって、その傷を癒してもらうことができました。

西日本では、白山信仰はほとんど存在しません。その代わりを担ったのが、浄土真宗の教説ではなかったかと思われます。

浄土真宗は、すべての殺生を禁止したわけではありませんでした。穢多の「役務」・「家職」にともなう殺生は、忌避の外にありました。有元は、越中国に、「稼職に非ざる殺生を致し申す間敷事」という「念仏行者心得か条」があったこと

を紹介しています。浄土真宗は、死刑執行に携わるものの救済を用意していたのです。「本願寺法王は、「如来の御代官」として救済の授与(浄土往生の保証)権を行使する」ことができたのです。

浄土真宗は、死刑執行人に対して浄土往生を保証しただけでなく、「穢多」の、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての生き方全般についても、多くの精神的な支えを提供していたのです。

浄土真宗の一般門徒だけでなく、近世幕藩体制下の司法・警察であった「穢多」たちも、「其(真宗)教義の生来脳裏に深染するもの多き」が故に、江戸時代300年間、「非常民」としての役務を全うできたのではないかと思われます。

東日本の「穢多」にとって、白山信仰が、その役務の傷を癒す宗教的装置であったのと同じく、西日本の「穢多」にとっては、浄土真宗の世俗化倫理とその教説が同じ機能を持っていたものと思われます。

しかし、「穢多」と「宗教」について論じるとき、「宗教」を浄土真宗に限定することはできません。もうひとつ、「穢多」にとってかかすことができない宗教がありました。その宗教の故に、幕府は、全国津々浦々に「穢多」を配置しまし

た。「穢多」の大きな職務のひとつに、「宗教警察」がありました。幕府が禁教した「邪宗門」、特に切支丹の取締りでした。この切支丹という宗教の取締りという役務が、のちに、明治4年の「穢多」身分廃止の太政官布告につながってい

くのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・転載ここまで・・・・・・・・・・・・・・

 

何が言いたいかと言うと

浄土真宗は、自ら進んで穢多を信徒として取り込んでいった。という事です。

その目的は所謂「自警団」で、創価学会じゃないけど(笑)浄土真宗を「退会」しようとするものを取り締まったり、キリスト教を「邪宗門」として、幕府以上に厳しく取り締まる仕事です。

後は犯罪者の【処刑人】です。平民にやらせると嫌がって逃げ出すので、彼らにやらせました。本願寺法王は、ちゃんと殺生をする彼らにも【救済を保証】しています。

 

以前、「正田家の出自」を調べたときに、関東一円は【白山信仰】が、穢多を救済していたという事実とともに、正田家の本家の【正田醤油敷地内の白山神社】を見つけ掲載しました。それと同様に、幕府は西日本には【浄土真宗による宗教的救済】を与えたのです。従って、西日本では部落地区の中には必ず浄土真宗のお寺が有るそうです。

 

★先祖代々の土地が、【部落地区】であり、信仰が、浄土真宗と言うのが、鳥取家の場合、喉に骨が刺さったように引っかかりますね。

 

◎やれ、「地主」だ「多額納税者」だと威張ってますが、本当にそうなんでしょうか?

 

★一番、不審なのは、やたらと「農業」を強調していることです。香川県は全国で一番面積の小さい県で、平野は多いですが、古来から「雨不足」に苦しみ、弘法大師が、「満濃池(まんのういけ)」と言う巨大ため池を作って灌漑用水にしました。

温暖な瀬戸内気候ですから、ミカンなど、柑橘類は取れるでしょうが、稲作で大量に収穫することは難しいと思います。要は本当に農家なのかな?と疑っているのです。

 

 

祖父の為三郎の経歴をチェックしてみましょう。 

★1911年(明治44年)早大商科を卒業し祖業を継ぎ仁尾塩田、讃岐煉瓦各会社の取締役・・・

とありますが、ポイントは【祖業を継ぎ仁尾塩田、讃岐煉瓦各会社の取締役】です。祖業を継ぎ【仁尾塩田】とあります。

つまり、先祖伝来の仕事が塩田事業だという事です。

ここでまた「部落学序説」の【穢多と塩田事業】から、引用してみましょう。

 

以下転載・・・・・・・・・・・・・・・・

【部落学序説・近世の穢多村】

近世の穢多村がどのような村なのか、思いを馳せていたある日、小学校のとき、担任の教師が話していた、「水田・塩田・皮田」という言葉を思い出しました。水田を耕すのは、ただの百姓。塩田で塩をつくるのは、塩百姓。皮田で皮革を生産するのは皮百姓・・・。それ以上のことは思い出せないのですが、私が小・中・高で勉強していた頃住んでいたのは瀬戸内海に面した小さな町でした。そこは、江戸時代のときに、遠浅の海を干拓して、塩田が作られた場所で、日常、塩田で働く人々の姿をよく目にしていました。

「塩田で働く人々を昔、塩田百姓と呼んでいた・・・」と、その時耳にしたように思うのですが、まだ半世紀しかたっていないのに、私たちの生活や記憶から、その塩田や塩田百姓はその姿を消してしまっていました。小学校に上がる前まで

は、入浜式塩田でした。塩田百姓の人が、大きな熊手のようなもので、塩田の砂をならしていました。やがて、流下式塩田に変わり、昔の塩田の姿は、著しく様変わりしてしまいました。そして、高度経済成長の時代にはいると、今度は、真

空式製塩法が採用され、潮を天火でほして塩を採るのではなく、油をどんどん炊いて、それでもって潮から塩を蒸留する方式へと変えられていきました。そして、中近東の戦争と石油の高騰で、真空式製塩法は経済的に採算がとれない状態に

なり、結局、塩田は姿を消し、そのあとには、工場や駐車場、商店街やボーリング場、JRの操車場へと姿を変えていきました。日本は、外国から、純度の高い岩塩を輸入するようになり、日本の製塩業は壊滅的打撃を受けました。

私は、小学校から帰ると、よく、塩田にいって、その岸壁から海を眺めたり、釣りをしたりしていました。夕暮れどきには、浜夕顔や月見草の花がきれいに咲いていました。潮風を思い切り吸うと、何かほっとするようなところがありまし

た。ところが、そういう、ふるさとの光景が、高度経済成長にともなう、工業都市化、近代化によって、ほとんど姿を消してしまいました。岡山県倉敷市児島には、塩生(しおなす)という遠浅の海が延々と続く場所がありました。しかし、そ

のような、日本人の、瀬戸内に住む人々の原風景のひとつが姿を消していきました。「ふるさとにいてふるさとを失う」・・・、そんな淋しい思いを経験したのは、私ひとりではないでしょう。

塩田だけでなく、水田も同じです。自宅から小学校までの通学路、少し市街をはずれると、青々とした稲田が続く畑の中の一本道を小学校目指して歩いていったものです。水田と水田の間を流れる、ちいさなせせらぎや用水路は、学校の帰り

際、小学生たちが、メダカをとったり、フナをとったりする遊び場でした。しかし、農業の近代化とかで、パラチオン製剤という農薬が撒かれた次の年には、メダカの姿はどこにもありませんでした。農薬で荒れた水田は、次第に、姿を消

し、住宅地や工場へと変身していきました。塩田だけでなく、水田も、その原風景を失ってしまったのです。「故郷にいて故郷を失う」、その寂しさは耐え難いものです。

それでは、「皮田」は?というと、私が住んでいたところには、そういう場所はありませんでしたから、戦後の高度経済成長の中で、「皮田」がどういう運命をたどっていったのか、知るよしもありませんが、そうとう大きく変貌し、やはり、「故郷にいて、ふるさとを失う」、そういう経験をされたのではないかと思います。

「水田」や「塩田」については、私の中に、「原風景」が存在しますが、「皮田」については、何の記憶もありません。ただ、「水田」や「塩田」から類推・想像するのみです。

・・・転載ここまで・・・・・・・・・

 

★要は、私たちが小学校で習った日本の「塩田事業」と言うのは、社長も従業員も穢多だったんですよ。遠浅の海辺で、熱く焼けた砂浜に海水を流し込み、天日で乾燥させる。とても暑くてきつい重労働です。ただの平民なら逃げちゃいますよ。

 醬油事業と同じで、生産の担い手は穢多です。韓国なんかもっとひどいですよ。塩田のやり方は同じでも、日本と違って【知的障碍者】を強制労働させてますからね。

 

この、【仁尾塩田】と言う会社の場所も、上の【部落地区総監】を見ると、しっかりと部落地区です(笑)【仁尾塩田】は、現在は【仁尾興産】と言う会社に社名変更していますが、住所は

 

住所: 〒769-1406 香川県三豊市仁尾町仁尾辛1です。

「辛」という地名を見ても朝鮮人もいたのかもしれません。

 

【仁尾塩田】の初代社長は、塩田忠左衛門と言う人で、「塩田」姓は、部落民だそうです。この塩田家は醬油製造業もやっていました。

 鳥取為三郎は、この塩田忠左衛門と言う人と、共同経営者のような関係だったと思います。「部落が部落をよんだ」のか?

 

★農業は農業でも【塩百姓】の可能性が高いですね。しかし、商売は儲かり、キャッシュは潤沢にあったでしょう。正田家の、日清製粉Gは小麦粉を作ってるだけです。小麦粉や小麦粉製品は食べなくても死にませんが、「塩分」を摂取しないと、人間は死んでしまいます。私が子供の頃は【専売公社】が有って、塩や煙草を法定価格で買い入れてました。現在は民営化してJTですけど。価格保証だから、後は生産力の問題で、作れば作るほど売れるんです。儲かりまっせ(笑)

 

もう一つの【讃岐煉瓦(さぬきれんが)】についても調べましたが、穢多との関係は確認できませんでした。煉瓦を焼くきつい労働だから、関係が有りそうな気もしましたが。

 

≪結論≫

私はキムチ妃の実家、鳥取家が、部落民である可能性は限りなく高いと思います。証拠が未だ不十分なので敢えて断言しませんが。

 

高円宮久子の罪業≫ 

昭和天皇の頃に入内しながら、【昭和天皇のご遺志】に逆らって、美智子の手足となり、【雅子入内】を強行した。
 

・本来、【日本単独開催】で決まっていたサッカーW杯を、夫とともに【韓国利権】に、踊らされて、【日韓共催】に変えて歴史に汚点を残した。
 

・美智子に指示されて、夫とともに、徹底した紀子妃苛めをやり、現在も続けている。美智子の尻馬に乗って、自分も紀子様に「産児制限」を命令した。
 

・3人の娘の教育に失敗した。【3人の娘はフィリピンパブの年増ホステス状態】
 

・【皇室利権】には、抜け目がないが、神道には適応していない。美智子がクリスチャン丸出しの様に、久子は「浄土真宗」のまま、皇室で生きている。
 

≪美智子との共通点≫

・高校まで聖心
 

・皇室を利権としか考えず、皇室に一切貢献していない。
 

反日国家との癒着、中韓からの「工作資金」の導入。
 

・皇室を根絶やしにしようとしている。
 

・美智子は、皇室の血を引く子供を産めず、久子は男子をさずかれなかった。
 

・どんなに高級高価な着物を着ても、下品に見え、品格が感じられない。華子妃殿下や信子妃殿下の足元にも及ばない。 年をとればとるほど出自が隠せなくなる。

 

・美智子→妖怪、久子→場末のバーのマダム

 非常に気が合うのは「部落が部落を呼んでいる」からだろうか?

 

・ カメラが向くと、シナを作る。大根女優体質。

 

≪久子の今後≫ 

・【韓国利権の消滅】というか【韓国の消滅】・・・韓国のGDPの大半を占める、サムスン、現代はそれぞれ一兆円の営業赤字。最終損益は、もっと赤字幅が広がるでしょう。

・ 仲の良かった現代の鄭夢準(ちょんもんじゅん)から、お金を貰えない。

 

・ 最末端宮家で稼げるのは自分だけ(笑)講演に行って食事が豪華でないと凄く怒るそうです。

 

★次女の典子が出雲大社に輿入れしたとき、夫婦岩の綱が切れたり、【神の怒り現象】が頻発しました。

 ◎出雲の神々が「部落の血」を拒絶したと考えれば理解しやすいです。

 

★★私は「高円宮家の廃宮」の要望を官邸メールしました。税金の無駄遣いだし、「美智子の右腕を折る」効果が有るからです。

  

wiki鳥取滋治郎

鳥取 滋治郎(とっとり しげじろう、1924年(大正13年)2月1日 - 2013年(平成25年)2月10日)は、日本の実業家。鳥取綱太郎(元四国コカ・コーラボトリング社長)は実兄。長女の久子は高円宮憲仁親王と結婚して憲仁親王妃久子となった。承子女王、千家典子、絢子女王は孫。

経歴

香川県[1]三豊郡笠田村(現三豊市豊中町)出身。鳥取為三郎の二男。東京帝国大学法学部を卒業した。

東邦物産の専務、フランス三井物産の社長、東海観光会長などを務めた。

晩年は日本学生協会基金で講演を行うなどの活動をしていた。

2002年の高円宮憲仁親王の葬儀では親族総代を務めた。

2013年2月10日に急性白血病のため死去。89歳没。

家族・親族

鳥取

香川県三豊市豊中町、東京都)

鳥取家は香川県三豊郡笠田村(現三豊市豊中町)の旧家である。

祖父・治郎八(農業[9]、香川県多額納税者[9])
嘉永6年4月生- 没

1886年(明治19年)家督を相続する。農業を営み香川県多額納税者である。

父・為三郎(地主、多額納税者)
1888年(明治21年)2月生- 没

1911年(明治44年)早大商科を卒業し祖業を継ぎ仁尾塩田、讃岐煉瓦各会社の取締役である。宗教は浄土真宗

母・久壽(或は久嘉)(香川、岩井徳一の妹)
1898年(明治31年)1月生- 没

兄・綱太郎(実業家)
1919年(大正8年)12月生-

姉・マス、アキ、ミチ
妹 ノブ
妻・二三子(友田二郎(外交官・宮内庁式部官)の長女)

以上

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