伏見顕正の政経塾

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【高円宮】故高円宮憲仁(前)紀子妃いじめの元凶。史上初天罰で死んだ悪徳皇族(笑) 

高円宮一族を斬る】

高円宮憲仁;紀子妃いじめの元凶。史上初天罰で死んだ悪徳皇族(笑) 

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皆さんお元気ですか?

今日は、朝鮮人小和田雅子の入内に暗躍し、死ぬまで紀子妃を苛め続けた悪徳皇族の高円宮憲仁です。

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憲仁は昭和天皇の末弟の三笠宮崇仁の三男として生まれました。皇位継承順位7位という最下位です。そのせいか常にコンプレックスを抱き、妬んでいました。

 

成人後は、国際交流基金(外務省の外郭団体)に勤務し、ここで小和田恒とのつながりができました。

それ以降は、この愚かな男は小和田恒の将棋の駒となり、反対者の多い中、妻の久子とともに暗躍して雅子の入内を強行させました。巨悪朝鮮人小和田恒にとっては、非常に使い勝手の良い駒だったでしょう。

そもそも皇太子と小和田雅子の出会いをセッティングしたのも高円宮夫婦で、高円宮の自宅でサプライズのように二人の出会いを演出させたのです

 

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思えば、「皇太子妃候補フィーバー」が起きたのは1988年でバブルの真っ最中でした。

日替わりで、週刊誌や写真誌がこの令嬢が最有力候補だとか、誰がダークホースかなどと紙面を躍らせていました。

しかし、候補に挙がった名門の令嬢たちは、週刊誌に取り上げられるや否や、急に婚約するか、海外の留学で逃げるかして、最後は一人もいなくなりました。

窮屈な皇室暮らしに加えて、私が思うに「皇太子知的障碍者説」を候補に挙がった令嬢たちの両親は名門同士のネットワークで知っていたのではないでしょうか?

ちなみにその当時の妃候補には小和田雅子のまの字も入っていません。病気療養中とはいえ、未だ昭和天皇が健在だったせいかもしれません。

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1993年、昭和天皇崩御を待ったかのように雅子の入内が決まりました。

政治家にも心ある人がいて、元副総理の後藤田正晴氏などは「チッソの孫娘など入内させたら、皇居に莚旗(むしろばた)が立つと言って大反対しました。

この発言は、熊本の水俣病患者たちが皇居に抗議に押し掛けるといった意味です。

今上陛下の回想にも「この縁談には反対が多い、しかし、このままでは皇太子が年を取っていくだけだ」という苦しい胸の内を語ったことがありました。

要は今上陛下にとっても苦渋の決断だったのでしょう。お気の毒なことです。

結果として皇室に朝鮮人の血という「穢れ」を持ち込みました。

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そして知的障碍者の夫と、精神分裂病の妻の間にできた、娘の精神が正常であるはずはありません。

デヴィ夫人の買った話では、夫人の友人が東宮家に訪問した際に、愛子様は、食事中で、なんと手でつかんで食べていたそうです。

それを見た友人が「駄目よ!手でつかんで食べたりしたら」と注意したら、いきなり、手にかみつかれたそうです。とても人間の所業とは思えません。

また別の話では、愛子様が、訪問客からプレゼントをもらった時、乱暴に箱を開けて、中身を取り出し、床に投げつけたそうです。

これを見た雅子は注意もせず「嫌いなの~」と聞いただけだったそうです。

 

昨年出た話で愛子様が偏差値70を取ったという話は嘘だと思います。

高円宮久子や、小和田家側の流した嘘話でしょう。愛子様学習院中等科を卒業できないでしょう。雅子は他校の受験を考えているそうですが、転校しても結果は同じになると思います。

初等科の頃は「いじめ事件」が起きましたが、いじめを肯定するのではありませんが、こういう頭がおかしく奇行のはなはだしい子はいじめられてもしようがないです。

世間を挙げてバッシングされ他の小学校に転校させられた男の子がむしろ被害者ではないでしょうか?

 

憲仁は雅子の入内が成功したら、次に始めたのが、「紀子妃いじめ」です。

皇室担当の記者によると「憲仁は階級意識の強い男で、紀子妃の実家のことを馬鹿にしていた」そうです。

紀子妃は母方が会津藩士の家系で、父方は庄屋さんだそうです。

朝鮮人の雅子と違い、ちゃんと武家の血が流れているではありませんか。

 

そういう憲仁の母も大名の高木家の出身ですが、高木家は河内の国で1万石の大名でした。1万石以上が大名ですから、仮に1石削られても9999石でただの旗本になってしまいます。憲仁の母方の階級は大したことないのです。

憲仁は青年皇族として公務ができるものは自分しかないとうぬぼれていましたが、一方、秋篠宮殿下の存在を恐れていました。秋篠宮に公務を奪われることを恐れたのです。

憲仁は秋篠宮は大したことないだろうと見くびっていましたが、優秀な秋篠宮殿下は、着実に公務をこなし、憲人から仕事を奪っていきました。

どんどん公務を失っていく憲仁、皇室担当記者によると「憲仁親王は、元赤坂(秋篠宮邸)は殺虫剤を巻きすぎて虫一匹いないなどと嘘を広めました。一見気さくな人物を装っていたが、実に腹黒い人物でした」と述べています。

 

後に憲仁が急死したときには皇室担当者一同が「やっぱり天罰ってあるんだな~」としみじみ思ったそうです。

続きます。