伏見顕正の政経塾

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【国難としての美智子皇后②】国体破壊に最後の命を燃やす赤い異教徒、転載フリー 

2015年4月22日

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さて、いよいよ本題に入りたいと思います。

私の物心ついたころからの皇后様の印象と父母や周囲の人の発言を交えて語りたいと思います。

30前まで昭和を生きた私にとっては、物心ついた時から、天皇陛下と言えば昭和天皇、皇后さまと言えば、香淳皇后様、皇太子さま(今上陛下)美智子さん、浩宮(現東宮)といった世界でした。「皇室アルバム」というTV番組を見ると、昭和天皇以下、浩宮まで3代の一族が出てきて、優しいおじいちゃんたちと息子夫婦、孫の団欒といった平和な風景が、演出されていました。

てっきりNHKだとばかり記憶していたら、TBSだったんですね。GHQの残滓のNHKだと思っていました。 

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父は昭和3年生まれの戦中派で、戦時中は勤労動員で熊本の軍需工場で働いていました。旧制中学だったし、未だ軍隊に行く年齢ではなかったのです。

戦前の教育が身についた父は、思想は穏健な保守派で、皇室を敬愛していました。

建国記念日勤労感謝の日など祝日には、欠かさず玄関に国旗を掲揚していましたが、何故か頑として憲法記念日だけは無視していました。

「どうして?」と聞くと「マッカサー様有難うございます。なんていえるか」と言いました。憲法記念日の無視は5年前他界するまで一貫していました。また、小学生の頃、チューインガムをかんでいると「アメリカ兵みたいで下品だからやめなさい」とよく注意されました。アメリカに戦争で負けたのが余程悔しかったようです。

 

その父が、家族で「皇室アルバム」を見ていて美智子さんがインタビューされてしゃべる場面になると、ガチャガチャとチャンネルを回して部屋を出ていくことがありました。何故か祖父も見ていて叱りませんでした。

父は非常に面食いな人でしたが、あの美人が何故嫌いなのだろうと生前聞くことはありませんでしたが、今になってわかったような気がします。

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中学2年の時、理科の時間で、雑談の折、皇室の話になると、先生は「美智子は粉
屋の娘じゃ」と馬鹿にしたような言い方で笑いながら言いました。

その先生は非常に学究的ないい先生でした。戦後体制の中で否応もなく日教組には入っていましたが左翼なら「粉屋の娘でも皇室に入れる良い時代になった」と言ったでしょうが、表情からは侮蔑の念しか感じませんでした。

 

大学生になり、上京して、東京の大田区の久が原に下宿しました。大家さんの奥さんは、代々続く米問屋の娘でちゃきちゃきの江戸っ子でした。昭和3年生まれで奇しくも父と同い年の戦中派でした。

私とは妙に気が合い良く雑談しましたが、ある時、皇室の話になった時、奥さんは「伏見さん、あなた知らないでしょうけど、皇太子妃の美智子って女は面の皮の厚い女よ」とさも嫌そうな顔をして言うのです。

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「何でですか?」と聞くと、「あの軽井沢のテニスの話、皇太子とペアを組む時に、女子大生たちがみな遠慮して、黙っているところを、あの美智子って女が「私やります」ってしゃしゃり出たのよ。ねえ図々しいでしょう」余程嫌いそうに言うので「良く知ってますね?」と聞いたら、奥さんの実家は少なくとも明治初期から東京で米問屋をやっていたので、都内に親戚が多く、宮中に女官として仕える人や、聖心女子大で美智子さんの同級生、学習院に通う女性が多く、おのずと宮中の情報や、その当時の言葉で言えばハイソサエティの情報がいくらでも耳にしていたらしいです。

奥さんはこの話になると、えらい熱心で面白い話を良くしてくれました。

とにかく当時、昭和50年代、美智子さんの宮中での評判は、奥さんの話を聞く限り最悪でしたね。私の育った九州の様な保守的な土地ならともかく、皇室のおひざ元の東京
の旧家の女性が言うんだからきっと本当だろうと思ったものです。

ただその当時は昭和天皇がバリバリ元気だったし、自分の勉強や就活で忙しく、皇太子さんの奥さんなど正直どうでもよかったのです。

 

ただ、私の父、中学の教師、下宿の奥さんなどの戦中派からの受けは極端に悪かったです。父や恩師の様な戦中派から見ると、GHQが去った後、急に、小泉信三などのクリスチャンたちが現れ、当時普及し始めたTVで「テニスコートの恋」などが演出されるのを見て、去ったはずの進駐軍の意図というか、非常に胡散臭いものを直観的に感じていたのでしょう。奥さんの話は実際の現場から内部情報として流れてくるもので、長く宮中に仕えた女官たちの美智子妃への言うに言われぬ生の拒絶感が伝わってきます。

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社会人になり、文芸春秋週刊新潮、文春などを読むようになると、「美智子妃いじめ」の記事を時々目にするようになりました。

ただ読んでみて、嫁姑の確執なんてどこの家庭にもある程度はあるもので、「舅のいじめに耐える嫁」という図式に当てはめれば、TVドラマの「おしん」の様に大衆受けするものです。

そのおしんを苛めまくった鬼の姑が九州の佐賀の女というのも、美智子さんの実母の正田富美子の実家(副島)というのも皮肉なものです。あの「おしん」というドラマは良くできたもので、佐賀人の性格をよく表しています。あのドラマで佐賀人のイメージは全国的に悪化しましたが、率直に行ってあの通りです。もちろん例外もいますが。

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断っておきますが私は佐賀人ではないです。自分の名誉のために行っておきます(笑)苛烈でひどい性格の人が男女ともに目立ちます。
水俣病で鬼畜の行為を行った雅子の祖父江頭豊、

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これは朝鮮人でしたが、先の戦争で、インパール作戦という自分の名誉の為、無謀な作戦を行い、何十万の兵士を無駄死にさせた牟田口廉也中将、

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彼は死にぞこない、戦後ものうのうと生き続け、部下の霊に、謝罪することも、祈ることもしませんでした。そういう県民性です。

県民性を研究した本を読むと、江戸時代から、本店に当たる佐賀藩から、県内にいくつかある支藩への収穫物の収奪がひどく過酷だったそうです。

電通を牛耳った朝鮮人成田豊も佐賀で育ちました。

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実際県内に在日朝鮮人も多いです。美智子さんにもしっかり佐賀人の血が流れています。

ここまでを第②編として、第③編は、2時間後にアップします。
以上